ここ数ヶ月、会社組織内の新人育成について考え込むことがあります。
とある第2新卒さん、情報の読み書きのうち、基本の「読み」がどうやら苦手です。
1画面目と2画面目に情報があるとしたら、1画面目だけを見て終了。
箇条書きが5つあったら、3つしか読まない。
目次と本文と注釈がある中から、要所を読み込んで情報を組み立てるものは毎回ギブアップ。
まさか、採用ミス… と最初は疑いましたが、そういうわけでもなさそうで。
アウトプット能力は、インプット能力と表裏一体
その新人さんの弁はこうです。
「人の考えを理解させられるのとか、嫌いなんです…。」
「仕事なので大人になって、なんとかやってます…。」
はあそうですか。
じゃあ、自分の考えを述べるのは? と聞けば、「それは好きです!」と力強く答えてくれましたが、この人が作ったExcelやパワポは空欄、的外れ、コピペの直し漏れがてんこ盛りすぎて、「考えを述べる」どころではありません。
話を聞いて、時間をかけて一歩一歩紐解けば言いたいことはわかります。なので、この人は媒体に向かって考えを述べた後、それを改めて「読み直す」 …いわば他人の目で自分のアウトプットを検証したり、駄目出しされた経験が少なかったんだろうなぁと想像しました。
そもそも、アウトプットの完成形とはどういうものなのか。
それすら示されずに作り捨てをして生きてきたようです。
第2新卒でそれってどうよ。
前の会社はこの人に何をしてくれていたんだ…。
ChatGPTを従えるには「言語化のスキル」が必要
そんな調子なので、ある時点からはほとんどアウトプットが出なくなります。これまで知らなかった系統の知識を仕入れて、応用するとなると、その入口の「仕入れ」で読みこなしができず、つまずいてしまうのですね。
「わからない部分は、ChatGPTに土台を作らせてヒントにしても良いよ」
と言ってもギブアップされたので、どれどれ…と共同作業モードに入り、それまでの道筋を見せて貰ったら、ChatGPTへの指示質問がまた酷かった。
最初の指示は検索ワードのぶつ切り。
続く指示は「だめ」とか「説明して」とかの超短文を出して終わってます。
それに対する返答が前と同じなものだから、
「ChatGPT使いましたが、駄目でした(むくれ顔)」
と投げてしまっています。
だよねー。この指示じゃあ上手い結果は無理だよね…。
ChatGPTは察してくれるものじゃなくて、従えるものだからなぁ。
「読み」も苦手だけど、たぶんこの人は「言語化」の訓練も相当必要。
いや、このふたつは表裏一体なのかな。何を知りたいか、前の回答のどこが期待と違うか、どういう情報を与えるべきか、きちんと選り分けて言語化できないのです。
こうなると、ゴールを小分けにするしかありません。
3手完成の仕事でも、その1手ずつを10分割くらいにして、進め方もガイドして、結果をレビューして差し戻し、思考プロセスや成功体験を覚えてもらう…。
こりゃ、伴走するのも褒めるのも大変であります。
自分の仕事が進まねぇ。
新社会人は、どこまでAIにフォローされるべきなのか
ChatGPTの場合、この新人さんのように言語化の訓練が必要な段階の人は、せっかくのAI支援が上手に受けられません。
この点をもって「ChatGPTはもう古い」と言ってしまって、もっと先回りした支援、もっと負担少ない支援、言語化すら要らない支援…を求めても良いのでしょうか。高齢などで言語の機能が損なわれた。
逆に、頭が回りすぎてもっとガンガン先へ行きたい。
そういう立ち位置の人へは支援が進化してほしいけれど、若い人にはもっと自分の脳を頑張って欲しい気がします。
自らの発信に手応えを感じ、諦めずに問題を解決して達成感を感じ、信じられる相手を見つけてしっかりと話し合う。
定年近辺の自分としては、若い人にはそんな未来を得てほしいと夢見るわけです。
そのためには多くの世代から、多くの経験値を得て脳を育てる必要があるし、解決できずに悩むのも、力不足を痛感するのさえ経験値になるでしょう。
それなのに、「なんか、意味分からなくなる」の混迷をうまいこと支援されちゃったり、機嫌をとってあやして貰えたりしていると、せっかくの経験値チャンスが奪われ続ける結果にならないでしょうか。
というか…
話し手と聞き手の全員がこの新人になったら、もうカオスしか無いじゃん。
この先、生まれたときからAI支援があって、思考の引き出しのほとんどが支援に馴致される人類が普通になるとしたら、ちょっと嫌かな。