ノギンの泡沫投資日記

50代、年間配当69万…。住居費からの自由までもう少し、働きながら頑張るブログ。

2年前の「底辺の仕事」記事がトレンドになったのはもしかして

カバー

お盆期間の入り頃、漫然と X(元Twitter)を開くと「底辺の仕事」がトレンドワードでした。
でもこれ、発端は 2021年5月… 2年前の就活情報サイトに出た記事の話なんですね。

当時「底辺の職業ランキング」と題された(らしい)記事は翌年の2022年6月頃にSNSで炎上し、問題の記事は削除済み。
それがまた1年の間を経て2023年、元記事不在のまま2度目の炎上って… なんだそれ。



「誰でもできる」底辺職と分類された仕事は

元記事は既に消えていますが、問題の記事にある底辺の職業は12種類あり、いずれも今のエッセンシャルワークと重なるものでした。

なぜエッセンシャルワークが底辺なのか?
というと、元記事では底辺職の特徴を、

  • 肉体労働
  • 誰でもできる
  • 同じ事の繰り返し

と分類し、それにあてはまる職業を底辺職としたようです。

くくり方が大雑把というか…。
仮にその分類を逆転させるなら、

  • 頭脳労働
  • 選ばれた人だけができる
  • 変化に富んだ非定型業務

…が上級職、という位置づけになるのでしょうか。
自分がどちらに分類されるのか、底辺なのか上級なのか、と分類しようとすると、当然誰でも底辺にはなりたくないので紛糾、炎上やむなしですね。

エッセンシャルワーカーを底辺って言うな!
給料が底辺なのは能力が底辺だからだ!
このやろう! 上級職の頭脳も大概残念だ!
いや、感情労働ってのもあるんやで。

わーわーわーわー。




「希少な職能」は次第に狭まってゆく

「IT業界」と言われた職業を例にとってみます。

自分が就職した頃は、IT関連職がまだ出始めといっても良い30年前…。
IT職というのはそれだけで希少人材のように位置づけられていましたが、蓋をあけてみると「綺麗な文字で設計書を書く」というのが訓練事項のひとつだったりしました。

綺麗に書く、整然とファイリングする、テープのリールを手際よく取り替える…。
そんなことすら、IT職の一部として一律で給与水準が高かった時代もあったのですね。
その仕事領域は「頭脳労働」でも「変化に富んだ非定型業務」でもなかったのです。

逆を返せば、業務の問題解決ができなくても、人の話が聞けなくても、「手先の丁寧さ」で食べていた人が一定数いたことになります。
もちろん、そういった丁寧さはその後のIT発達により、業界内での希少価値をなくしました。

その次に盛んだったのが、キーボードやオペレーションなどの「入力・操作」に特化した人。
これも、ITが発展普及すると、簡単でありふれたものとなり希少価値をなくしました。

「プログラミング」はどうでしょうか。
実はこれも、ChatGPTが出る前から実は自動化や省力化・サービス化が発展していて、希少価値という点では相当不利です。今後、生成AIにトドメをさされる可能性があります。

歩兵


手先が職人的、オペレーションの生き字引である、プログラミングが出来る。
かつて希少であり、習得が難しく、IT業界で高給が取れたそれらの職能は今、同じIT業界のサバイバーからも見放され…仕事そのものが無くなるほどになってしまいました。この傾向はまだまだ進み、希少な職能は狭まる一方になりそうですね。

「底辺」という言葉では言い表せない危機感

再び、「底辺の職業ランキング」に戻ります。

収穫しなければ、配送しなければ、介助をしなければ世の中が回らない、エッセンシャルワーカーの必要性は盤石であるように、今は思われます。
でも、その職務領域もやはり、次第に狭まってゆくのでしょう。

そうして、人間が給与を戴ける仕事がだんだん狭まってゆく。
「突出したところのない凡人だ」というだけで、お金を戴くのが難しくなる。
希少な能力者と、その他大勢の落差がどんどん拡がってゆく…。

もはや、安泰な収入源というものは見つからず、乏しい能力をかき集めて変化し続けなければいけないのでしょうか。
もし、その能力が自分に備わってなかったら…?

ぞわっ。

底辺の職業などという言葉が注目されるのも…、
それは底辺じゃない! と何度も炎上してしまうのも…、
お前の方が下! と足を引っ張りあうのも…、
大多数の凡人が「我が身の危機感」を切実に感じているからこそじゃないかな、と思ってしまうのでした。




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