
メモリの少ないパソコン、使ったことありますか?
CPUはまともなはずなのに、「遅っせえええぇ」と言われるやつ。こういうPCは一種独特な動きをするというか、ともかくCPUとディスクがブンブン回って加熱するのに、画面はさっぱり動かない。
そこで怒って何かのキーを連打したり、電源を切るなどしても、大抵は解決しませんね。むしろ、何度も繰り返すほどに挙動は悪くなり、最終的には起動できなくなるでしょう。
その経過は、「人間」にも当てはまることがある。
そう思って仕事しながら、自分自身の再整備も永遠と続けているのが当ブログの主であります。
ワーキングメモリーと心のバランス
人は、その場の思考や判断の遂行に欠かせない記憶装置として、「ワーキングメモリー」を必要とする生物だ…という認知が広まってきました。
ワーキングメモリ(Working Memory)とは認知心理学において、情報を一時的に保ちながら操作するための構造や過程を指す構成概念である。作業記憶、作動記憶とも呼ばれる。ワーキングメモリの構造や脳の関連部位を調べる研究が多数行われている。 そして、このメモリーはストレスによって著しく損なわれるとされます。
損なわれるとは、どういう状態でしょうか?
これは、冒頭のメモリ不足と少し似ているように思えます。
100の情報を読み込んで処理するところに、メモリが10しかないとする。
仕方ないので、残る90は外部記憶に退けて、少しずつ足し合わせるしかありません。しかし、足し合わせの処理にもメモリを使うので、今ある10を5に減らさないとそれができない。だから更に5を退けてなんとか計算しようとする。次の5を読み込むには、また今までの計算結果を退けて…。
とやってるうちに、業を煮やした利用者が電源を切ったりするわけです。
人はPCではないので、ストレス下では外部記憶に退けた100分の90を「丸ごとなくして」しまうこともある。そうなるとパニックです。
自己評価など保てるわけがありません。
ここで重要な点としては、足りないのはメモリであって、「心」ではないというのがミソですね…。
情報処理のためのワーキングメモリは損傷していても、その背後にある膨大な記憶、経験、情動、これをしたいという目的意識、等は無事に残っていることが多いのです。
だけど、今、今の情報処理ができない。
自分の苦しみを説明しようにも、それをロードするメモリがない。
こんなの泣くじゃないですか。
「働けない」脳の心痛い体験談
最近、高次脳機能障害を経て、「働けない脳」を考えた著書があるみたいですね。
著者はあるとき、レジで小銭をばらまいて拾えず、嗚咽を堪えきれなかった人を目の当たりにして「彼らは何かがおかしい」と感じます。
またあるときには、簡単な申請書式が記入できずに、消え入りそうな声で、”書く場所を指さして、何を書くか教えてほしい" という人に立ち会い、理解に苦しむほどの「圧倒的事務能力の低さ」を感じます。
しかし、その後、突然の脳梗塞から立ち直った著者は、後遺症として彼らとほとんど同じ体験をなぞることになり、圧倒的な不可能感に震撼する…。
そんな体験を丁寧に記して、貧困と福祉を考え直すという本でした。
それらの記録は、ブログ主の体験とも重なります。
昔、鬱状態と診断されて休職中、自分は「横断歩道の信号が読めず、何時間も道路が渡れない」という恐怖体験をして、それが情報処理の問題なんだというのが腑に落ちました。
「赤は止まれ、青は渡れ」という、単純で当たり前の行動。それは、3次元の広い雑多な風景の中から「ここに信号がある」と見分けることから始まります。
次に、「青は渡って良いルールだ」という記憶の確認。
最後に、「今は青色が点灯中だ」という情報の受諾があって、最終的に迷いなく横断歩道を歩き出すわけですが、鬱により極端に狭まったワーキングメモリは最早、初手の「ここに信号がある」の情報抽出すらできない状況に(多分)陥っていました。
期間契約に変わったら別世界
幸い、自分の脳は電源を切られることなく、長い時間をかけて、なんとか人間に戻ったようです。
しかし、鬱の危機はその後何度も訪れました。
情報処理には人により得意・不得意があって、不得意を強要するとストレスになります。
我が身の残念脳でいうと、そもそものワーキングメモリに弱みがあるほか、視覚優位(耳からの言語処理や意思決定が不得意)の特性が、会議や会合のハンディキャップでした。説明してわかる障害ではないので、慎重に対策して生きる場所を選ばないと、ストレスで簡単に潰れがちな脳だったと言えるでしょう。
いや、会社員が「生きる場所を選ぶ」とか無理でしょ。
それな(笑)
かくなる上は、心療内科の薬で堪え忍ぶのが人生だと思っていましたが…。
資産運用と、突然の転職話がすべてを変えました。
benzoin.hatenablog.com
便利に何でも命じられる残業社員から、一業特化型フリーランスへの転向です。
このときの「薬いらなくなるかも」という直感はあやまたず、自分は長年頼ってきた特殊な薬を、年初から一度も飲んでいません…。

え…。
これ、平気じゃん…。
それどころか、なんかルンルンで仕事に行ってるし。
不得意に晒されない境遇が、こんなに助かるものだったとは…。
なんということでしょう。不得意を強いて、やっても出来ず、自責も空回りして窒息するのが人間社会だと思っていたのに、いきなり水面から顔が出て青空の生物になってしまいました。
なんで、もっと早く変わらなかったかな?
と思う一方で、「やっぱり今しかなかった」という納得感もあり、今は不思議な感覚で日々を暮らしています。
マイノリティと資産運用は好相性
自分の脳は急に優秀になったのではなく、今でも相変わらず残念です。
ワーキングメモリが片っ端から消えるので、必ずPCかスマホ片手です。
それが自然に許される職場で、大変助かっています。
少しの自虐を込めて表現すると、脳科学的なマイノリティといったところでしょうか…。
幸い、どうやら売れる分野があったお陰で運良くお金が続きましたが、まあ偶然のようなものです。気を抜けば、社会そのものから滑り落ちる危機はいつでもすぐそこにあります。
そこでお金ですよ。奥さん。
それな(真剣)
ストレスで滑り落ちて溺れ、今度こそ脳を壊してしまうのか。
その危険水域に近寄ることなく、ふっと息をして身を守れるか。
その境目に立つとき、資産運用は必ずや立ち直りの助けとなるはずです。
いや、それってそんなに、力をこめて言うことか?
こめますよ~。
思うに、いつの時代も、生きてゆくのはそこそこ難しかったのです。
溺れて消えた人の姿は、ただ見えなかっただけ…。
今は少しずつ社会の解像度が上がり、マイノリティという言葉も生まれた上で、生きる知見やライフハックが増えてきました。資産運用もその一つと位置づけて、積極的に助けて戴きましょう。
今日の千円からでもいい。生きる余力を増やしてみませんか。