ノギンの泡沫投資日記

50代、年間配当69万…。住居費からの自由までもう少し、働きながら頑張るブログ。

運用をキャッシュフローとして捉える日

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日々の暮らしはお金がかかるものですね。

資産運用が大事と言われる今日でも、暮らしてゆくには資産だけではなく、収入…キャッシュフローが必要です。



資産運用の目標は、運用益を生活のキャッシュフローとすること

現在は給与所得者なので、生活のためのキャッシュフローは給与から得ています。
配当所得もあり、「今月の配当は○○円だった」と喜んだりしていますが、これは専ら再投資専用の「数字」であり、フローとして捉えることは少ないです。

この配当が「フロー」として意識できるようになるということは、十分な原資を持てており、配当金を再投資せずとも生活費に充てられるということなのでしょう。

もっと盤石になれば、「取り崩しても減らない」という、圧倒的なボリュームに達します。
すなわち、資産運用を行う多くの人の目標地点です。

では、この目標地点に至らない資産運用は「不足」なのでしょうか?
自分は、そんなことはないと考えています。
 

少ない運用金額でも自立の助けになる

たとえば、昨年の自分の配当収入等は税引後で47万円です。
この額では到底生きてはゆかれませんが、それでも「自立の助けになる」のは間違いありません。

47万円を月で割ると4万円弱ですね。
いま失職したとしたら、なにがなんでも生活必要額を稼がないといけない境遇から、4万円の下駄をはいて「4万円少ない収入でも許せる」境遇へ移行できます。この下駄は自分の選択肢を広めてくれるでしょう。

たとえ4万円が1万円であっても、それで支払えるライフラインがあることを思えば大きな額です。
運用額があるだけで僥倖だ。今はそんなふうに考えています。
 

暮らす上での、配当と取り崩し

不幸にしてキャッシュフローが途切れ、運用をキャッシュフローとして捉える日が来たとき、「配当と取り崩しと、どちらがいいだろうか」と考えないでしょうか。

配当金は、置いてあるお金から配当が生み出されるイメージ。
元手があれば、そして減配しなければ継続して配当が得られてゆきます。

投信は配当を出さないので、自分で取り崩して「山を下りてゆく」イメージ。
投信自体が成長するため単純には減りません(と思う)が、額が少なければすぐに元手がなくなるため、取り崩しのパーセンテージはかなり頼りないものです。

いずれにせよ、元手を減らさずに済む人はほんの一握り以下ですね。
普通のケースでは、元手を上手に減らし、配当も取り崩しもキャッシュフローとして受け止める日がやってきます。

そのときに使い勝手がよいのは、単位株でしか崩せない、崩せば一旦は現金になってしまう株式よりも、運用しながら柔軟に崩せる投信となるでしょう。

さて、いつまで単位株と株主優待を楽しんでいられるかな、自分…。

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