ノギンの泡沫投資日記

50代、年間配当69万…。住居費からの自由までもう少し、働きながら頑張るブログ。

(雑談)突発性難聴が心因性だとしても、過度に恥じなくてよいと思う話

カバー

本日は雑談です。
自分の職場で、片耳の突発性難聴と診断された人が過去に2名ありました。

いずれも入社して2年未満、職場での人間関係は悪かったです。
上司評価でバツをつけられ、どの先輩からも酷評され、仕事を変えられるたびに呼び出されて「使えない」と叱責されました。

そして突発性難聴、通院、休職、ほどなくして退職。

その2名と短期間関わった経験からですが…、
似たスペクトラムを持つ自分には感じるところがありました。
おそらく、ASDを持っていそうだと。


彼らが自分の特性をどの程度認知していたかはわかりません。
ですが、ASDという脳の障害の存在を知らされていなかったとしたら、不幸に思います。
脳の障害というのは、乱暴に例えるなら、日本語変換ソフトをインストールされていない人に対して「変換キーを押せ!」と命じても日本語は出せない。そういうものだからです。

日本語変換ソフトを当たり前に備えている人からすれば、理解できないことでしょう。
大概の職場には「障害」という単語や受入体制が存在せず、ソフトが無い状態など想定の埒外です。
そして、当人が自身を知らなければ、人並みに日本語を出せない状態をただ苦しむしかなくなります。


そこで自分はあえて思うのです。
彼らの特性を適所で生かせないのなら、なぜ採用したのかと。

職場では能力のバランスを見る適性テストがあるので、採用方と偉い人は何かを感じたはずです。
ですが、面接でリスクを計ることをしませんでした(とあえて想定します。)

「ある部分だけが突出している」ことをもって、何か尖っているから面白そうだ、役に立つかもしれない、とだけ思って採用し、あとの教育をそのまま現場の大部屋に任せたのでしょう。
自分もそのような経緯だったと後から聞きましたorz

まあ昔の採用はそんなものでしょうが、今はもう少し情報が増えています。
近々の採用があんな終わり方をしたならば、人事も現場もそこそこ無策というだけの話じゃないかな。


単にそれだけなのだから、当事者は能力の欠如を苦しむより、ミスマッチを解消したほうがよい。

思うに、障害という単語のない世界で、障害を持っているのは恥ではないです。
居てよい場所を、探し損ねているだけ…。

そこはもとより、理解の得られる場所ではなかったのです。
難聴なんかを発症するまで耐え抜いてはいけない。そんなふうに思います。

しかし、それは当人が自分を知っていないと出来ないことでもあります。
当人に認知がなかったり、既に認知が歪んでいたりすれば、話は難しいです。

ほんとに、なんで体制もないのに積極採用するかな? と苦々しく思うばかりです。