あー、またしてもドル転の定期積立が空振りしました。
積立の実行条件を「135円以下」にしており、それを超えたので自動キャンセルです。
実行条件を決めたということは、「これ以上の円安は駄目だ」という読みを行い、積立有無をコントロールしたということになりますね。
しかし、この上限は本当に必要だっただろうか?
と、本気で迷うわけです。
この円安は既に異常値なので戻ってゆくだろう →積立は休みだ、なのか。
いや、この先も円安が進むだろう →積立は継続だ、なのか。
そんな迷いに捉われると、135円の上限を撤廃も継続もしかねて動けなくなります。
本気で迷い、そして「積立の意義」が試されていることに気づきました。
株は積立できて、為替はできないと考える理由は?
株式の積立投資は今、実績を伴って受け入れられています。
その投資法は、タイミングを計らず、先の予想もせず、機械的にお金を入れること。なぜそんな方法を取るかというと、先が読めないことを受け入れるからですね。
株式の集合体である投信やETFについては、その読めなさにも心の準備ができているから、機械的にジッと積み立てています。
だったらなんで、為替だけに「これから円高だ」とか、「この先はもっと円安だ」などの読みができて、予測に基づくドル転がうまく嵌ると思うのか。
きっと、「読める」と考えてしまうこと自体が無知のしるしなんです。(自分の場合は。)
無知すぎて、有利に転換したい欲が勝ち、動向をアレコレ読む人達のコメントを何でも信じたりします。
いかんいかん。
それだと、自分に都合よい情報だけを取っているのと同じです。
何も判断していないし、右往左往の期待結果は積立よりも悪くなるのが関の山…。
後から考えれば、今も通過点
為替は、株のように成長するものではないかもしれない。
でも、長い目で見ると平均されてゆくのだから、積立は株と同じ考えで良いはずです。
止めないことが大事。
あー、でも… 続けるけど、今は金額を抑えておくのもいいかもしれない…とか。
どうにも、なかなか平常心とはいきませんです。